五島市議会 2019-12-09 12月09日-03号
について 番号質問者質問要旨1網本定信議員1 五島日本語学校について ①来年4月の開校に向けて進捗状況は ②開校まで及び開校後の五島市の財政負担は ③生徒募集について イ 募集の状況は ロ 現地募集に係るあっせん料について ④給付型奨学金の内容について ⑤開設に伴う五島市のメリットについて 2 支所地区における道路等の陳情について本庁担当課の対応は 3 老朽化により利用できない遣唐使船
について 番号質問者質問要旨1網本定信議員1 五島日本語学校について ①来年4月の開校に向けて進捗状況は ②開校まで及び開校後の五島市の財政負担は ③生徒募集について イ 募集の状況は ロ 現地募集に係るあっせん料について ④給付型奨学金の内容について ⑤開設に伴う五島市のメリットについて 2 支所地区における道路等の陳情について本庁担当課の対応は 3 老朽化により利用できない遣唐使船
それは誰もが知っているように、平戸の港も実は歴史的な広がりから、実はこのキリシタンの発生の15世紀か6世紀、7世紀じゃなくて、実は8世紀から、御存じのように平戸は東アジアの、いうところの遣唐使船ですね。松浦との水軍の活躍、そしてあるいは中国の明の時代には、中国人が実は日本に銀を求めてした私的貿易を実は平戸に拠点置いているんです。そういった実は歴史的な大きなうねりがあっているんです。
気候や生態系は、海流(対馬暖流)の影響を受けており、遣唐使船などの文化的交流や渡り鳥など、大陸とのつながりが強い島であります。 「五島列島 大陸との懸け橋~大陸とのつながりを、大地・生態系・歴史文化から感じよう~」とテーマを掲げ、日本ジオパーク認定に向けて活動されています。 現在の活動状況、取り組みなど、どのようになっているのか、お尋ねします。 その他2項目については、自席より質問いたします。
西海国立公園として誇れる豊かな自然や動植物、景観、椿の島、日本遺産指定の関連史跡、遣唐使船ゆかりの史跡、五島家関連の史跡、地域独自の伝統文化や芸能、さらには国や県指定の文化財など、豊富な資源が市内にちりばめられています。
三井楽町は、遣唐使船日本最後の寄港地として知られ、万葉故地でもあります。これらを活用し、毎年、三井楽万葉まつりを開催し、市民の気運の醸成に努めているところであります。 ことしの三井楽万葉まつりでは、全国万葉協会の協力をいただき、9月22日、三井楽町公民館において15年ぶりとなる全国万葉フォーラムを開催します。
古代からの遣唐使船の時代、倭寇の歴史、宗教遺産、五島家と福江城関連遺産、格式ある神社・仏閣など、今後とも調査研究を要する資源が豊富に残っております。 未調査資源を文化財に指定することによる付加価値づけをすることで、市民はもとより観光者へも五島への興味がより深まり、リピーターをふやすことへもつながるかと思います。
これも、何か一般質問の答弁の前に、野口市長さんより説明がなされたように、三井楽は名勝指定ですか、これによりますと、文化審議会が20日に、古代から遣唐使船が立ち寄り、万葉歌に詠まれた「三井楽」、「みみらくのしま」というふうに詠むそうですけれども、を名勝として新規指定をするよう下村文部科学大臣に答申をされたようです。
現在、遣唐使船最後の寄港地や和歌の歌枕としても読まれてきたみみらくの崎、今の三井楽半島の高崎鼻から長崎鼻にかけて、一部海域を含む草原などの景勝地を国の名勝指定にするための準備を現在進めております。ついては、その歴史的価値等を広く市民の皆様に知っていただくために、講演会やパネルディスカッションを内容とするシンポジウムを10周年記念事業として開催するものであります。 以上です。
私、玉之浦のことしかわからないので、玉之浦を例に挙げますと、遣唐使船が風待ち、水の補給のために立ち寄ったと言われている井持地区、現に大きな井戸もございます。平家の落人が逃れて移り住んでいた島山島の寺屋敷、また隠れキリシタンの人たちが祈りをしていたという大瀬崎近くの鍋ケ浦、三井楽で言っても、市長の答弁にもありましたが、世界で2つしか例がないと言われている嵯峨島の種類の異なる2つの火山跡。
古代には、遣唐使船が最後の風待ちをするため停泊し、飲料水や食料の積み込み、あるいは難波津からの長い航海で傷ついた船体の補修を行ったと言われている。 その後、14世紀には、宇久島から進出した宇久氏、のちの五島氏でありますけども、支配し、対中国貿易の拠点として利用されていたようである。現在は、緑の芝生に覆われた園地と、湾曲して切り立った岩場と紺碧の海が望める風光明媚な公園である。
もう一つ申し上げれば、合併いたしましてから、遣唐使船の関係で長安に行きましたので、空海、最澄が、それで、西安市ですね今の、そこと交流ができないかということで、少し関係者に相談をいたしまして、中国領事館とも相談をいたしましたら、前の総領事の奥様が、西安の近くの市の出身者でございまして、領事館から真っすぐ西安市の市長に電話を入れてくださいまして、一度お話をしたことがございます。
遣唐使船が日本を離れる最後の場所に五島がなったのも、東アジアに対する五島は玄関口に位置するからであります。西の果てのハンディーをメリットとして考えを変えることが必要と思うのです。 そこで市長の国境交流についてのお考えを再度お聞きいたします。長崎県も中村知事が誕生し、アジア国際戦略本部を設置し、積極的に取り組んでいますが、その現状をお聞きいたします。
また、中国との交流につきましては、歴史が物語りますとおり、五島市は、遣唐使船の国内最後の、日本で最後の寄港地でありまして、平城京遷都1300年祭となる本年、くしくも中国では上海万博が開催されておりまして、日中友好の機運も大いに盛り上がっております。
次に、財団法人・角川文化振興財団の主催によります遣唐使船再現プロジェクトが実施されております。本年5月から開催されます上海万博におきまして、6月に「JPANウィーク」が設定されております。そのイベントの一環として、日中韓の交流の歴史を物語る遣唐使船を再現し、両国の若者らが乗り組んで海を渡り、両国のさらなる友好関係を築いていこうという趣旨でございます。
本市は、遣唐使船の最後の寄港地であり、旅立ちの島として遣唐使との深いかかわりもありますので、関西地区を中心とした情報発信や関連イベントの充実に努めてまいります。 また、本年5月から中国・上海で開催されます「上海万国博覧会」でお披露目予定の角川文化振興財団が進めております「遣唐使船再現プロジェクト」により再現した遣唐使船が、最後の風待ちをしたこの五島市にも寄港することとなっております。
防人の島(国境離島)新法の制定を求める意見書 今は遠く奈良時代の終わりころ、中国・唐の国への使節団を乗せた遣唐使船は、当時値嘉島と呼ばれていた五島列島で最後の風待ちをし、順風を帆に受けて中国大陸へ渡ったと言われています。 現在では、五島・福江島に航空自衛隊分屯基地が置かれ、半径400kmの日本の「西の空」をレーダーで常時監視し、我が国の国防上大きな役割を果たしています。
我が三井楽では、遣唐使船最後の寄港地として、今も柏崎に辞本涯という記念碑が建っております。五島が一番栄えたその時期、それは交通網の拠点であった。もう一回五島を、この日本1億じゃなくて、アジア15億の中で光を取り戻すためには、どうしても五島を交通の拠点、こういうことで進めていただきたいと思います。
これは渡り鳥のルートが遣唐使船のルートとほとんど一緒だというのが、もう魅力的なんですね。ですから、それと同時に、長野県で孵化した若鳥が、何にも経験がないのにジャワ島まで1羽で飛んで行くと、全く、こう、自然界の不思議さをこの中で感じます。ですから、観光には特殊性が非常に必要だと思うんです。ですから、ぜひこういったことを展示をしていただきたいというふうに思います。